ほぼ全てのプラントが紛失していたが、
木材チップを薬液で煮るための
木釜(ダイゼスター)が1基のみ現存していた。
七階建てのビルに相当する高さの蒸解室。
木釜がなくなった部分は、円形の吹き抜けとなっていた。
樺太工業真岡工場(王子製紙真岡工場)は、
1913年に設立された樺太工業が、
樺太の泊居町(トマリ)に次いで
操業を開始させた工場である。
紙・パルプの一貫生産を目指して
1919年(大正8年)9月に操業を開始し、
上質紙の製造を始めている。
しかし1921年(大正10年)には工場全焼の憂き目にあい、
翌年3月に再度操業を再開している。
その後1933年に王子製紙・富士製紙・樺太工業の
大手製紙会社の合併劇により、王子製紙・真岡工場となるが、
1945年の終戦と共にその歴史に幕を閉じることとなる。
さて、『廃墟という名の産業遺産』から一部抜粋して
建物の歴史を説明したところで、探索に戻ります。
木釜の頭です。
木釜は、鉄・コンクリ・煉瓦・煉瓦という
四層になっているそうです。
(「紙の博物館」で勉強させていただきました)。
蒸解室から、シンボルタワーである製薬塔を見る。
ご覧の通り、階段が途中で折れてしまっている。
蒸解室から離れます。
どの建物も機械の台座の跡だけが残っている。
壁という壁は乱暴に破壊された大きな穴が開いており、
そこに丘から流れてくる濁流の筋が合流し、
建物の1階部分を川となって流れた。
続きます。
●樺太工業真岡工場(王子製紙真岡工場)
ロシア・サハリン州ホルムスク/2007年8月/サカイ
コメント(4)
リベットがカッコいいですね。
サカイさんには製薬塔の階段を登って
廃墟本編集者の根性をみせてほしかったなあ〜。
ここは・・・・すごいとしか言いようがないですね。
こんなところが日本にあったら毎日廃墟マニアが訪問しそうですが
ロシアには廃墟マニアがいないのでしょうか?
自分は最後の画像が一番ツボでした。
あ?、見ていて落ち着く(-。-)y-゜゜゜
木釜は貴重すぎる残留物ですね。
まるで軍需工場に残されたミサイルのようで
こんな機械見た事ないです。
ましてや工場内がほとんど撤去された状態で
これが現れたら感動します。
道端で千円拾うよりおいしいと思います。
●ポンチハンターさん
サカイ氏は、人の根性を叩きなおすのはうまいですが、
自身では、ゆるめの山も登らない力強い意志を持っているようです。
●くまおさん
しぶいですねぇ。私は埃っぽい階段みたいなとこが
アンコールワットの回廊みたいで好きでした。
●マツピンさん
小学生の頃、下校中に
道端で千円拾ったときの衝撃がまざまざとよみがえりました。
木釜は、そのぐらいすごいのか、
と改めて写真を見直した次第であります。
(春吉)
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