私以外にも廃墟探索を楽しんでいる者が2名いた。
この巨大な廃墟は、今後どのようになるのだろう...
このまま朽ち果ててゆくのだろうか。
第二次世界大戦終戦まで、
日本には外地(植民地)と内地という行政上の区分があった。
外地とは満州や台湾、朝鮮などの植民地を指し、
北海道・本州・九州・四国・沖縄諸島などの内地とは区別されていた。
日露戦争後に日本の領土となった南樺太は、
1943年に内地に編入され、行政上においても日本本土であった。
樺太の南西に位置する小さな港町、ホルムスク(真岡)。
日本時代には、終戦直後にロシア軍の侵攻を受け、
電話交換手の女性9名が集団自決した
真岡郵便電信局事件でも知られる、悲しみの町である。
樺太という土地がロシアに帰属し、
関係が閉ざされていた時代が長かったこともあり、
樺太、真岡で起きた惨事について、あまり語られることがない。
この真岡は、侵攻したロシア軍によって戦火を浴びた被災地で、
多数の犠牲者を出した「日本本土最後の地上戦の地」である。
真岡は日本の歴史においても重要な土地だ。
しかし現地には日本時代の建築物はほとんど見当たらない。
毅然と立ち尽くす廃工場の製薬塔を見て、
ここに日本の歴史があったというモニュメントとして、
いつまでも残って欲しいと思わずにはいられなかった。
さてさて、いかがでしたでしょうか。
写真テクが未熟なので恐縮ですが、
本当にスケールの大きな廃墟でした。
ちなみに、写真の奥の施設は現役稼動しており、
地域の熱源工場として暖房を供給している。
製紙工場付近には、日本時代の社宅が現存しており、
現地の方が、生活していた。
またいつか再訪したいなあ。
おしまい。
●樺太工業真岡工場(王子製紙真岡工場)
ロシア・サハリン州ホルムスク/2007年8月/サカイ
コメント(3)
日本人としてこの場所について知ることが出来たのでとてもうれしく思います。
そして落書きがないことも奇跡に近いです。
ここから徒歩5分のところに住みたいです。
●くまおさん
コンビニと同じ頻度で、日本にもこんな廃墟が出現してくれたらいいですよね。
それだと、日本はもう駄目な感じもしますが。
廃墟マニアとしてはうれしい限りですね。
それにしても、この記事のトップの写真だけみると
外国のおしゃれなサイトみたいで、いいなぁと思っています。
(春吉)
親戚に樺太の王子製紙の社員だったものがおり、引揚げ時に工場のパルプに火を放って,燃え盛る炎を引揚船上から見ながら涙したと話していました。そんな記事は見当たりませんが、戦後の混乱時の事で記録が無いのかもしれません。
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