2020年に開催が決定した東京オリンピック。エンブレムデザインの模倣問題
や、新国立競技場にお金かかりすぎる問題などで揺れたかと思えば、今度は舛
添都知事の政治資金をめぐる疑惑が持ちあがっている。
本当にこれで東京でオリンピックが開催できるのかと疑問に思うが、新国立競
技場の建設のため、隣接する〈都営霞ヶ丘アパート〉内にある〈外苑マーケッ
ト〉は、昨年2015年12月末で50年の歴史に幕を閉じた。
最終営業の前に、話を聞きに行ったので記録しておきたい。
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【目次】
1. 都市の秘境〈都営霞ヶ丘アパート〉へ
2.〈外苑マーケット〉のある6号棟へ
3. 最後の1軒になった「井上青果店」
4. オリンピックに2度も翻弄される土地
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1. 都市の秘境〈都営霞ヶ丘アパート〉
JR総武線千駄ヶ谷駅から10分ほど歩くと〈都営霞ヶ丘アパート〉が見える。
1926年(大正15年)に全国初の"風致地区"として指定された「明治神宮内外
苑付近」の南西に、同アパートは隣接している。風致地区というのは、
都市の風致(樹林地、水辺地などで構成された良好な自然的景観)を維持
するため、都市計画法により都市計画で定められる地区です。風致地区内
では、都市の風致を維持するために、一定の行為を行う場合はあらかじめ
許可が必要となります。(東京都建設局)
ということで、自然がたくさんあって、風光明媚な場所である。
すこし広域に見ると、新宿御苑、明治神宮、明治神宮外苑、赤坂御用地に取り
囲まれた、緑豊かな都会の森である。
アパートは全部で10号棟まであり、目指すマーケットは6号棟に入っていた。
アパートという名前だが、おもむきは団地そのもの。東京都は2012年7月か
ら、住人たちに立ち退きを勧めてきた。
2015年1月時点では、140世帯224人が住んでおり、多くは高齢者だったとい
うが、約1年後のこの日(2015年12月29日)には、団地内はひっそりと静ま
り返り、まるで人気のない廃墟の中に立っているようだった。
小さな公園があり、遊び方のわからない遊具とジャングルジムなどがあった。
ところどころに洗濯物を干していたり、生活の気配は感じるのだが、住民の姿
はまったくなかった。
団地内に入ると引越し業者のドライバーとすれ違った。「30号棟はどこにある
か知っていますか?」と聞くので、30号棟はたぶんないと思うと答えた。
1961年に建設されたアパートは老朽化がすすみ、経年劣化が激しかった。
給水塔も、もう役目を終えたのだろうか。
団地の庭では路上園芸が盛んだった。サボテンや、金のなる木など、昭和時代
に流行した植物があるのを見ると、世話をしている方の年恰好が想像される。
2. 〈外苑マーケット〉のある6号棟へ
これが6号棟。1階がマーケット部分で、上階は住居になっている。洗濯物が
干してあったので、上階にはまだ住民がいるようだった。商店主が住んでいる
のだろうか。
素晴らしいマーケット看板。クリーニングから鮮魚まで、さまざまな商店が入
っていた証だ。
しかし2015年12月末時点では、営業している店舗は「井上青果店」1店舗の
み。そしてここも、翌日には店をたたむことになっていた。
青果店があるほうの入口にまわると、営業中ののぼりが出ていた。骨組みだけ
になった装テンの残骸も、味わい深いものがある。
文字がはがれてしまい、ネット上では「外苑マーケソ」になっていると話題だ
った看板の文字は修復されていた。
マーケットの中に入ると、暗かった。短い通路の両側に、店舗が立ち並んでい
た痕跡があった。
3. 最後の1軒になった〈井上青果店〉
最後まで店を続けていた〈井上青果店〉のお母さんに、写真を撮っていいです
かと聞くと、快諾してくれた。取り壊しが決まってから写真を撮りに来る若い
人が増えたと言っていた。
この店は50年間営業をつづけてきた。お母さんが嫁いでくる前から八百屋さ
んだったという。渋谷区とのほぼ区界に位置するため、「うちは新宿区の最先
端にある八百屋なのよ」とほがらかに教えてくれた。
団地内には独り暮らしの高齢者が多く住んでいるため、お母さんが作ったお惣
菜を1人分ずつパックにして販売していたそうだ。この日は、おでんが鍋ごと
置かれていた。
4. オリンピックに2度も翻弄される土地
井上青果店と反対側の入口には、タバコ屋があった。
シャッターを半分閉めた店先で、お父さんが年賀状を書いていた。タバコを買
って話を聞こうとすると「11月に辞めちゃったよ、ごめんね」とのこと。
タバコ屋のお父さんに昔の話を聞いた。甚野公平さん(82歳)。1933年(昭
和8年)に、現在の明治公園のあたりで生まれてから、ずっと霞ヶ丘町の土地
で生きてきた。
甚野さんは、現明治公園内にあった木造平屋のバラック住宅に住んでいたが、
1964年開催の東京オリンピックの用地確保で立ち退きに遭い、61年に完成し
た霞ヶ丘アパートに転居してきた。
ここは52年前の東京オリンピックの際に新築されたアパートだったのだ。
このアパートでタバコ屋を始める前は、甚野さんのお母さんが平屋のほうで日
用雑貨の店を営んでいたという。
甚野さんは男ばかりの9人兄弟の四男坊で、青山学院大学に在学しているとき
に、家族で野球チームを結成したという。かなり年季の入った『少年サンデ
ー』を見せてくれた。感動大作48ページと謳われた「父子ナイン」という漫
画は、甚野家がモデルになったそうだ。
「岡田真澄はうちのチームにいれてくれと言ってきた」と芸能人とも交流があ
ったとほのめかす。店先には、王貞治のサインボールが飾ってあった。
これはなんだろうか。ピーポくんTシャツを着る子供と警官の絵。すごく気に
なったが哀しい話の最中なので、聞けなかった。
佐川急便のドライバーが年末の挨拶にやってきた。甚野さんは「またよろし
く。どこかで会ったらよろしく」と言って、お互いに深々と頭を下げている。
「オリンピックで2回も立ち退きに遭って正直迷惑だ。団地内の老人も高齢化
しているから」と語る甚野さんに、これからどうするのか聞くと渋谷駅徒歩3
分の所に引っ越すという。また五輪によって新しいアパートが建つのだろう。
甚野さんは「もう明日で終わります。ご縁があったらまたね」と言って、新し
い年の年賀状を書く作業に戻って行った。こうして外苑マーケットは50年の
歴史に静かに幕を下ろしていった。
参考記事:東スポWeb【新国立競技場建設】立ち退き問題難航 五輪のための
住所:東京都新宿区霞ヶ丘町5-6
営業時間:閉店
HP:なし
訪問日:2015/12/29(火)
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