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廃レジャー施設「のうが高原」に行ってきたの巻

2011年03月 | CATEGORY : 宿泊施設の廃墟(ホテル・旅館) | COMMENT(12)

こんにちは、キャンドルくまおです。

凍えるような冬が終わり、
日ごとに春の足音が聞こえてくるようになりましたね。

だから僕は廃墟に行ってきました。

今回、廃墟サイト「ほれほれ観光」の管理人でもある
みつなりさんとR9さん、
そして最近この八画文化会館のサイトを通じて知り合ったキッカさんを誘い
計4人で中国地方最大級の廃レジャー施設、
「のうが高原」に行ってきました。

1965年に広島県廿日市で廿日市観光農園という名で営業を開始し、
71年にのうが高原に改名してホテルや別荘、
遊園地を建設し86年に倒産した。
とウィキに書いてありました。

そして最近この八画文化会館のサイトを通じて知り合った
マイミクのキッカさんを誘い、
計4人で探険隊が組織されました。

僕は以前にも「のうが仙人」ことタケピンさんの案内で
のうがを探索した経験があるので
絶対に迷わないと思っていました。

でも迷いました。
登山を開始して3分で迷いました。

もう完全に道を見失いましたね。
僕の口からは「とにかく上へ登って行けば大丈夫」という
なんの信頼性もない言葉しか出てきませんでした。
しかし道なき道を突き進む事2時間、
頂上付近にある別荘が見えてきました。
 
 
 

この別荘出現のおかげで我々の心に火が付き、
極度の疲労も重なって不思議なテンションへと変わったのでした。
のうが高原ホテルの入り口付近のゲームセンターが見えてきたので、
とりあえずそこで昼食にしました。
 
 
 

ここから見えるのうがは以前と変わっていませんでした。

 
 
 

ゲームセンターで見つけたサンプルの景品の名前に驚愕しました。
「ゼリコ」と書かれています。

一瞬読んだだけだと普通に某有名菓子会社と間違えてしまいそうです。

これは...あれなのか...一昔前の、なんでもありだった時代の遺物か?
しかし帰ってから検索した結果、
なんとゼリコのほうがあの会社よりも設立が早く、
その当時からゼリコという名前だったのです。

ゼリー菓子を作っていたからゼリコだったらしいです。
しらんけど。
しかも現在も順調に操業中でした。
※ゼリコのHP

やや脱線しましたがこういうのも廃墟探索の醍醐味です。
 
 
 

ゲーセンを後にした我々はいよいよ本丸とも言える、
のうが高原ホテルに入ります。

廃墟サイト「PARADISEを探して」の
「のうが高原」の探索記録に
当時のホテルの貴重なパンフが掲載されています。
管理人でもあるタケピンさんにお願いして、
のうが高原ホテルのパンフレットの転用許可を頂きました。

といいますのも今回はこのパンフの画像と現在の画像で
ビフォアー・アフターみたいなことをやってみたかったからです。 
  
  
 

【ビフォー】
まず入り口を入ったらすぐ右側にある受付カウンターです。
 
 
 

【アフター】
あの剃り込みの入った受付のお兄さんは
どこへ行ってしまったのでしょう?
 
 
 

【ビフォー】
そしてエントランスホール
 
 
 

【アフター】
変てこな照明と椅子は当時のままです。
 
 
 

【ビフォー】
ロビーと休憩室
 
 
 

【アフター】
椅子やカウンターなどはすでに撤去されています。
壁のタイルもところどころはがれ落ちています。
 
 
 
]

【ビフォー】
そしてのうが高原の最大の見どころは
なんといっても広いお風呂でしょう。
 
 
 

【アフター】
屋根の崩壊が激しく、
いたるところに鉄骨やコンクリートの残骸が転がっています。

廃墟では時間が経つのが早く、
パンフレットに載っている場所すべてを撮ることは出来ませんでした。
 
 
 

受付付近にあった剥製です。
一瞬、野生動物の白骨かと思いました。
 
 
 

のうがを守っているロボットと目が合いました。
なんだか笑っているようです。
 
 
 

そろそろ帰る時間が近づいてきました。

建設後、40年以上が経ったのうがは
画像の通り昔の面影を僅かに残すばかりです。
高度経済成長時に建てられた色々なレジャー施設は、
現在瞬く間に廃止、撤去されています。

現役時には沢山の子供たちの笑い声で満たされたのうが高原も、
その思い出と共にいつかは消えてしまうのでしょうか?

今回、ご一緒して下さり遭難の危機を共に乗り越えた、
みつなりさん、R9さん、キッカさん、お疲れさまでした。
 
 
 

皆さん、また廃でお会いしましょう。
   
  
  
●廃レジャー施設「のうが高原」
広島県廿日市/2011年3月/くまお

コメント(12)

先日は貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。
比較写真はかなり良いですね。
今の状況からは想像もつかなかったです。

最後の写真はどうやって撮ったのか不思議に思います。
登れるような場所はなかったはず…。

こんばんは、大変楽しく拝見しました。
今回は加工された写真にこだわりを感じました。
特に1枚目の円に配置されたイスを見ていると
ノスタルジアで心温まる様なそんな気がします。

最後は遠い背中が無言で語りかけてるようで
新のうが仙人降臨に感動しました。
というか普通にロボットなど発想が面白かったです。

R9さん>
あの岩にはジャンプして飛び移るつもりが怖かったので一度下に降りてよじ登りました(*^^)v
僕の一眼は安物ですがそれでも機能は十分だと思っています。
是非一度お店に見に行くと良いですよ。

マツピン(タケピン)さん>
加工しちゃいました( ´艸`)
本当は現場のリアリティーに着色するようで加工反対派だったのですが最近はハマっちゃって・・・
円に配置された椅子は誰かが撮影用にしたんでしょうね。
登山であんだけ迷うようならのうが仙人とは言えませんね(汗)

日本を代表する廃墟の1つであり、
「お湯に入らなくてもいいから、
一度は訪れたいお風呂」ランキング、
ぶっちきり第1位の、のうが高原を
記事にしていただき、誠に幸せです!!
 
 
しかも「のうが仙人」ことタケピン氏所蔵の貴重資料まで
引用していただき、夢のようです。
 
  
ちなみに私は、のうがまでの登山を
3時間以上道に迷った挙句、
辿りつけなかった経験の持ち主です。。
  
お風呂の扇形の奇妙な壁が、
そのまま残っているのが不思議ですね。
丈夫な造りなんですね(笑)
   
 
最後の一枚は、くまおさんでしょうか?
一仕事終えた後の、男の背中が、
何かを語っているようで、かっこいいです。
僕もいつか、同じポーズで撮りたいと思いました。

サカイさん>
「登山の途中で絶対遭難しそうになる廃墟」ランキングでもぶっちぎりで一位かもしれません。
比較的楽に登れる登山道もあちこちで土砂崩れになっていました。
最後は私くまおでございますが登山のせいで背中が汗ばんで濡れています。
ぜひいつかのうがに再チャレンジの際は同じポーズで!!

八画文化会館の皆様始めまして
くまおさんの前作のレポで同行させて頂きましたKです
今回もお誘い頂いたのですが、都合が合わず残念でした;;
のうがは解体されたとか再利用されはじめたとか色々噂は聞いていたのですが、どうやら健在のようですね^^
くまおさん、また何処か御一緒しましょう?^^

ゼリコすごいなぁ!!

グリコの方がむしろ、ぱくりなんですね。
大手もうかうかしていられませんね。

しかも、グリコのおまけよりおまけの部分が豪華そうですね。
ゼリー本体は入ってないようにも見えますね。
ゼリコはいまもやっているんですね。
グリコについてどう思っているんでしょうか。
ひとつ聞いてみたいなぁと思いました。

(春吉)

Kさん>
登山はほんとしんどかったですよ(;_;)
でも今回は一眼だったので楽しさが倍増でした。
4人で探索するという心強さもありました。
是非またご一緒しましょう!!

hakkaku_culture_unionさん>
まさかの明治創業というショッキングな事実でした。
しかも上海にも工場を持っているというグローバルさ、脱帽です。
今回のうが探索によって得たものが多い中でゼリコは特筆すべき事件でした。

びっくりしました。
子供の頃に行った、のうが高原が廃墟のまま残っているのですね?
以前、テレビで廃墟特集の番組があり、まさかと思いきや
子供の頃にあこがれたのうが高原だったとは、大変ショックでした。
なぜ取り壊さないのだろう。中途半端に残っていると余計、物悲しいです

ウィキペディアによると改修工事が進んでいるとの事です。僕も此処に来たいですが、自分は高校生だし、家が愛知県にあるので此処へは来れません。

のうが高原廃墟は大成建設の管理地らしく看板が出ており警備員詰所(基本的に無人だが2018年夏の時点では通電していた)があり、不定期で警備員の巡回が行われています、また近い内に林道整備工事もあるようですよ。

のうが高原廃墟は大成建設の管理地らしく看板が出ており警備員詰所(基本的に無人だが2018年夏の時点では通電していた)があり、不定期で警備員の巡回が行われています、また近い内に林道整備工事もあるようですよ。

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