2008年7月に出版した『廃墟という名の産業遺産』。
その取材のために、2007年8月の一週間、サハリン(樺太)を旅しました。
日本時代の建物の廃墟をはじめ、サハリンで記録した写真をアップします。
まずは、「日本人絹パルプ敷香工場(王子製紙敷香工場)」です。
この工場跡が残るポロナイスク(敷香)は、
州都ユジノサハリンスク(豊原)から鉄道で約7時間、
日本領時代のロシアとの国境である北緯50度線に近い、東海岸北部の町である。
日本時代には、木材伐採事業や付近炭鉱の操業、
製紙工場の稼動によって発展途上にある町だった。
そんな敷香に残っているのが
"日本最北の"製紙工場跡「日本人絹パルプ敷香工場(王子製紙敷香工場)」である。
日本人絹パルプ敷香工場跡は1932年に王子製紙が創設。
樺太における製紙工場の最後として1935年に開業している。
ご覧のとおり、敷地と公道を遮断するバリケードの類は一切ない。
これぞウェルカムカムカム物件。
入り組んだ構造の建物に小さな通用口を発見。
不安定な階段をおりてみる。
建物の上部は、ものの見事に空洞となっていた。
赤錆びた階段と通路だけが、空中に取り残されている。
真上を仰ぎ見てみる。
こちらの建物も、プラントだけが見事に喪失している。
建物の奥に、青い扉を発見。
扉だけでなく、壁も青色。
エルビスコステロだったらこう言うだろう。
「オルモストブルーデスネ」
内蔵された機器が、ごっそり無くなった後の機械。
色褪せたピンナップ。
カレンダーに書かれた文字の謎は...
『廃墟という名の産業遺産』でチェックしてね!(宣伝です)
さらに別室に行ってみると...マシーンが残っていた。
名前も用途もわからないマシーンだ。
窓ガラスのない窓から外を眺めてみた。
探索は、まだまだ続くのである。
●日本人絹パルプ敷香工場(王子製紙敷香工場)
ロシア・サハリン州ポロナイスク/2007年8月/サカイ
『廃墟という名の産業遺産』ヨロ!!
コメント(4)
すごく迫力あります。
町と廃地帯の境界が日本のようになくて
見つかっても怒られない気もしないでもないですが
やはり海外は規模が大きいし危険なイメージがあります。
あと地名を覚えるのが大変そうです。
写真、どれも素晴らしいです。
赤さびた階段と通路のある吹き抜けの内部画像に圧倒されました。
自分が廃墟に惹かれる人間だと再認識させられました。
サハリン、いいですね、街ごと沈んでるようで、いいですね。
ロシア系の女性は、若いときすごく綺麗なのに、
歳をとると、すごく太る、というのは本当でしたか?
(春吉)
●マツピン(タケピン)さま
ロシア語は、г・д・ж・з・п・ф・などのヘンな記号みたいなヤツが、文字として幅を利かせていて、何と発音して良いのか分からず、大変困惑してしまいます。
ロシア人は、このような記号言語を駆使ししながら会話をしてくるものですから、当然私はチンプンカンプンでした。なるべくロシア人に話しかけられないように探索しました。それさえクリアできれば、サハリンは素敵な廃墟集中地帯です。
●くまおさま
お褒めの言葉ありがとうございます。
優れた廃墟に潜む「一瞬にしてハートを鷲掴みにする絶対的な力を持った光景」が、サハリンの巨大工場には幾つも存在しました。私も、たまらなく廃墟に魅入られてしまうタイプの人間なんだなと痛感しました。また、廃墟に対するピュアな初期衝動を思い起こさせてくれる物件は、やはり素敵なものだと痛感しました。
●はるきっちゃん
まったく廃墟と関係ないコメントありがとうございます。
ロシア女性の加齢と体重の関係性については、
私に聞くより、ヤフー知恵袋で聞いてみるといいよ。
もし、本当に知りたいのならね!
でも、あんましそういうことを信じない方がいいと思うよ。はるきっちゃんこの前も「タイ人は、象に踏まれて死ぬことが名誉です」とか言ってたけど、タイ人にもロシア人にも色々なタイプがいるからね。
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