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廃墟という名の産業遺産「別子銅山東平地区」

2012年09月 | CATEGORY : 産業遺産大(炭鉱・鉱山・工場) | COMMENT(0)

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別子銅山は1690年に発見された銅山で、
その翌年より銅の産出が開始された。
東平地区は1916年から1930年まで
別子銅山採鉱本部が置かれていた地域である。



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観光地化されたマイントピア別子より
車で30分の山中にあり、
このような山奥に多くの人々が集まり生活していたなど、
にわかには信じがたい。
住友の協力を得て整備されたといわれているが、
整備は最小限に抑えられ、廃墟マニアも十分に楽しめる。


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「東洋のマチュピチュ」をキャッチフレーズに
宣伝がなされているが、なるほど、
そういわれればそうかもしれない。
非常に小さなマチュピチュである。
この遺構は坑道から運ばれてきた鉱石を
一時的に保管しておく貯蔵庫だったようだ。


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煉瓦造りの遺構がところどころに残されている。
特に変電所は全く手がつけられていないため、
ガラスも割れたまま、壁は崩れ、木に埋もれている。


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産業遺産の観光地としてはアウトかもしれないが、
廃墟マニアにとっては嬉しいかぎりだ。


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近年、様々な産業遺産廃墟が整備され、
観光地化されているが、この場所ほど遺構に近づけ、
なおかつ廃墟であったころの
雰囲気を残している場所はないだろう。


●別子銅山東平地区
愛媛県新居浜市/2007年8月/丈平あんこ



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