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蛤診療所

2011年04月 | CATEGORY : その他廃墟(廃屋・廃校・病院) | COMMENT(2)

ここに行ったのは、たぶん2003年頃だったと思う。
栗原亨氏の名著『廃墟の歩き方』で知ったんだと思う。


崎戸鉱山に行く途中にあって、
あっさり見つかった気がする。
 
 
 

ベッドのマット部分が藁で出来ていた。
 
 
 

今こうして写真を見ていると、
やたら窓ガラスが多いことに気づきました。
採光性に優れたエコな作りだったんですね。
 
 
 

よほど窓ガラスが気になったのでしょうか。
窓ガラスを映した写真が大量に出てきました。
残念な気持ちです。
 
 
 

左右に長く伸びた造りが特徴的だった。
それはまさに「翼を広げたような」感じだった。
 
 
 

落書きもなく、良質な廃墟だった。
 
 
 

自分の知らないモノがあったら、
とりあえず写真を撮っておく...昔からのクセだったようだ。
 
 
 

この頃は、デジカメじゃなかったんだよ。
いつも、撮影途中でフィルムがなくなり、
もっとフィルム買っとけば良かったのに...
と後悔していたことを思い出しました。
 
 
 

そういえば...。
何かの木箱に、大島町●伝染病棟って書いてあった。
(●の部分は、解読できず)
この廃墟も、解体されたようで、今では存在しないらしいです。
 
 
 
●蛤診療所(大島町●伝染病棟) (解体)
長崎県大島町(現・西海市)/2002年頃/サカイ
 
 

コメント(2)

うわ?ん、行きたかった・・・・・・・・
廃墟ほど「後悔先に立たず」ということわざが当てはまるものはありませんね。

くまおの目が持つ「超光学ズームアイ機能」を使ったところ、
「大島町立伝染病棟」だという可能性が高いです。
普段は通学中の女子高生に使っているこのズームアイ機能が初めて他の分野で役に立ちました。

●くまおさん
  
先生の超光学ズームアイ機能によって、
私の積年の謎が解けました。
  
大島町立伝染病棟だったのですね。。。
なぜ、このような常識的な言葉が、
判明できなかったのか、
私自身のおバカさが残念でなりません。
 
伝染病がなくなったから、
伝染病棟も必要でなくなった、
と思えば、この廃墟の解体は、良いことかもしれない
と思いました。

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